会社沿革 |
平成12年 2月
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株式会社シー・エフ・ネッツ 設立 |
平成12年 5月
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有限会社シー・エフ・ビルマネジメント 設立 |
平成12年 6月
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王子オフィス 開設 |
平成12年 7月
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港南台オフィス 開設 |
平成13年 4月
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富岡オフィス 開設 |
平成15年 7月
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株式会社月極倶楽部 設立 |
平成15年10月
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王子オフィス 新宿オフィスに移転 |
平成16年 5月
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磯子オフィス 開設 |
平成16年11月
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有限会社不動産綜建研究所 M&A 商号変更 |
平成17年10月
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株式会社南青山建築工房 M&A 商号変更 |
平成18年 1月
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南青山オフィス 開設 |
平成19年10月
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みなとみらいオフィス 開設 |
平成21年 3月
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海F-1 設立 |
平成21年10月
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大阪支社 開設 |
平成22年 1月 |
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東京支社 開設 |
平成24年 6月 |
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日本テナントサービス株式会社 設立 |
平成25年 1月 |
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株式会社メガホールディングス 設立 |
平成25年 9月 |
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東京支社 銀座1丁目に移転 |
平成26年 8月 |
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港南台オフィス 鎌倉市大船に移転 鎌倉本店に事業所名変更 |
平成26年 8月 |
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東京支社 東京本社に事業所名変更 |
平成26年 8月 |
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磯子オフィス 横浜支社に事業所名変更 |
平成28年 4月 |
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名古屋支社 中村区名駅に開設 |
令和 2年 8月 |
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東京支社 白伝ビルに移転 |
令和 5年 4月 |
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株式会社シー・エフ・ビルマネジメントへ商号変更 |
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はじめて物語り |
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創業当時「そんなので食える訳ない」と言われた |
シー・エフ・ネッツは、日本で初めて「不動産コンサルタント会社」を冠した会社である。
欧米では、成功する者の絶対条件として「弁護士」、「税理士」、そして「不動産コンサルタント」の三業種の人とつきあう必要があると言われていた。しかし、シー・エフ・ネッツ創業当時の日本ではこれに見合う不動産業務を行っている会社は皆無であった。さらに、宅地建物取引士を取得できない人が「不動産コンサルタント」と称している人が多かったため、「不動産コンサルタント会社」には非常にダーティなイメージがあった。
そのため、創業するときには、周辺から口を揃えるように「そんなので食える訳ない」と言われたが、創立23周年を迎え、従来の不動産会社と比較し、当社を選択するお客さまが増え続けていることで、お客さまの立場にたった「不動産コンサルタント」という創業当時の理念が間違っていなかったことを証明できたのではないか。
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「初めて」にこだわる |
日本で初めての「不動産コンサルタント」会社として起業したのはもちろんのこと、シー・エフ・ネッツは、それ以外にも日本で初めて行ったことが多い会社であり、「初めて」にこだわるところが当社の「存在価値」であり、それは「存在意義」でもある。
まず、日本におけるプロパティマネジメントの実務レベルを上げるために、倉橋は同士と渡米。日本人として初めて全米不動産管理協会(IREM)が認定する不動産経営管理士(Certified Property Manager 略称CPM)を取得する。その後、JREM(現IREM Japan)の中心人物となり、CPMの日本国内の普及とプロパティマネジメントの実務レベル向上のため、奔走することとなる。結果として、2023年現在では国内の総数約600名のCPM資格所有者のうち30名近くをシー・エフ・ネッツグループと加盟店のスタッフで占める結果となっている。
そして、倉橋は日本で初めての実務者向けの不動産業務マニュアルを執筆もした。当時は弁護士や税理士など実業務と関係ない人がマニュアルを書いていたため、非常に難解で、実業務にそぐわない内容のものばかりであり、現場の担当者が利用できる内容ではなかった。しかし、倉橋は長年の不動産業界の経験とノウハウを生かし、現場の担当者がすぐに実行できる内容にまとめた実務マニュアルの執筆し非常に評価された。また、2000年2月の段階で「アッと驚く不動産投資」は、日本で初めての不動産投資の一般向け書籍となり、執筆活動は現在も続けている。
その他にも、シー・エフ・ネッツには、日本で「初めて」の事がたくさんあり、現在では「オンサイトマネジメント」という不動産、建築という業界の垣根を排除した日本で初めての仕組みを構築中であり、今後もシー・エフ・ネッツは「初めて」にこだわり続けている。
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「初めて」の仕組みを構築する |
「初めて」の仕組みを構築するには、試行錯誤を繰り返すため、大変な労力が必要になる。
「0から1」、つまり「無から有」にする労力は、「2から3」、「3から4」にする労力より大変であり試行錯誤の繰り返しである。しかし、構築した仕組みが自動的に動き始めることで「2から3」、「3から4」、「4から5」という広がりをみせる。
当然、構築した仕組みで良いものがあれば、まねる会社も出てくる。しかし「日本で誰が最初なのか」といったらシー・エフ・ネッツであり、2番目以降はどんなに売上を上げたとしても「ものまね」なのである。すでにある仕組みをまねることで、2番目以降は仕組みの構築を近道できるかもしれない。しかしシー・エフ・ネッツはそれを「カッコ悪い」と行為であると考えている。仕組みを構築するのは大変な労力が必要であり、試行錯誤を繰り返しのため遠回りになるが、カッコ悪いことはしないで「初めて」にこだわり続けているのである。
そしてそれが会社の価値を高め、シー・エフ・ネッツの原動力となっている。
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