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倉 橋 レ ポ ー ト |
2010年9月号 |
伊万里の陶芸家 「澤田 痴陶人(ちとうじん)」の世界!
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先月、再度、伊万里に行ってきた。
そもそもきっかけとしては、当社で経営しているホテル「城ヶ島 遊ヶ崎リゾート」のディナーの料理等を、現在、見直しており、その為、食器類も、陶器に磁器もアレンジしようと考え、有田から伊万里まで仕入れに歩いたのがきっかけである。
そこで歴史を紐解くうち、「澤田痴陶人」という人物に辿りついた。
澤田痴陶人(1902-1977)とは陶芸作家になる前は京都で日本画を学び、染色織物の研究をしており、1960年(昭和35年)に佐賀の嬉野に移住、伊万里を拠点に作陶活動に専念することとなった。 |
しかし痴陶人は、没後もほとんど無名だった。この痴陶人が、突如、世に出ることになったきっかけとなったのは、1993年(平成5年)に、大英博物館の日本美術部長であるローレンス・スミス氏が伊万里を訪れ、痴陶人の作品と出会い「生き生きとした筆のタッチは他の現代陶芸に例をみない。自由奔放な線は見る人に愉快で豪快な「生」そのものを感じさせ、版画の棟方志功に通じると感動した」(日本経済新聞1997年3月5日)と評して1997年(平成9年)5月、大英博物館で澤田痴陶人の個展が開かれるに至ったのである。没後20年の作家で、しかも、バブル経済崩壊後、日本人初めての大英博物館での個展が開催されたという快挙を成し遂げたのである。
この事実を知ったときに、私自身、非常に感銘を受けた。
痴陶人は、個展作家ではない芸術家であり、作品の殆どは「料理」に精通していることである。魯山人も没後評価されている作家であるが、同様に「料理」に精通している。器とは料理を楽しむ為のものという本来の姿を追求しており、その本来の姿で評価されている。
私自身、あまり芸術的な感性は、残念ながら持ち合わせていないのだが、昔から魯山人の器には共鳴するところがあり、作品展などがあるたびに通ったことがあったが、この澤田痴陶人の作品を見たときも不思議と魯山人の作品と出逢ったときのインパクトを感じることができた。
芸術家でありながら食器を中心にデザインを行い、名声などに興味もなく、ただひたすら顧客の要望を満たし、自らが納得する作品を作り、結果、その器などが、美術品として評価される。日本画の芸術家として歩んでいた道を、突然方向転換させ、伊万里で作陶に専念して晩年を向え、生前は然程評価されていなかった無名の作家が、没後20年経って大英博物館に評価された。これは大英博物館が英国だけでなく、世界に向けて痴陶人に対し、世界に通じる芸術家としてのお墨付きを与えたことを意味するのであるから、どれくらいの快挙かは想像がつくと思う。
そもそも、食器の仕入れで有田を訪れ、どうも気に入ったものが少なかったので、伊万里に廻った。有田というのは陶磁器で有名であるが、基本的には有田、伊万里で作成されたものが商社を通じて販売されるのが有田焼と呼ばれているものである。従って有田焼というのは全国的に有名なのであるが、歴史的には「伊万里焼」というのが、どうも正しいようだ。伊万里で作陶された古いものは「古伊万里」というが、「古有田」とは言わない。そんな意味で伊万里に足を運んだ所、「伊万里陶苑」という窯元に、結構、気に入った食器が多かった。そこで偶然、「痴陶人工房」(痴陶人のデザインを復刻している工房)の品物を仕入れたことからオーナーの金子社長と知り合い、痴陶人のことを知ることになったのである。私自身、かなり興味をもち、いろいろ質問などを浴びせていたところ、わざわざ休館しているちょっと離れた展示場に案内してもらい、本物の痴陶人の作品を見させてもらった。本当に感銘を受けた。そんな関係で、その後も伊万里に訪れ、伊万里の歴史や文化に触れながら、痴陶人の作品を研究している。
実は、あの片岡鶴太郎氏も痴陶人の作品に影響を受けて、痴陶人工房で作陶していると聞き、先日、片岡鶴太郎氏と一緒に、同じ窯元で絵付け作業をさせてもらった。鶴太郎氏は、仕事は真剣に取り組んでいるが、休憩時間にはかなり気さくな人で、いろいろとアドバイスを受けたりした。当日、同じ料亭旅館に宿泊したので夕食を一緒に食べ、その席でも、陶芸、歴史、魯山人、痴陶人の話で盛り上がりに盛り上がり、夜の12時半頃まで飲んでしまい、かなり迷惑を掛けたのではないかと反省したりしている。
魯山人も痴陶人も、没後に評価された人物であるが、多分、生前は歴史自身が、彼らに追いついていなかったのだと考察できる。また、芸術という概念自体も、変化しつつあったのかもしれない。彼らの生前の生き方は、ある見方をすると破天荒な感じはするが、それらが作品の中のヒントとして採用されているように感じる。ただ生きるために暮らすのではなく、同じ作品を作るのであれば、使い易さを追求するなかに、それぞれが、ちょっとした芸術性をもたせるオリジナリティな「遊び」を表現しているのである。
私自身は、日々、忙しさの中でも、仕事に新しいアイデアを持ち込むようにしている。
建築設計についても、新規事業構築にも、やはり人まねではない手法を研究して、世に出していると自負している。「無」から「有」を創り上げるのは、確かに時間は掛かるし、労力も掛かる。2番煎じであれば効率よく仕事ができるのかもしれないが、そのような生き方は、したくはない。現時点で繰り返し創造してきた生き方を、いまさら変えることはできない。
現在、不動産コンサルタント会社として起業し、周囲からは「不動産コンサルティング」で事業など成立しないと揶揄されてきたが、結局、今となっては私の結論のほうが正しかった。不動産の転売目的より、不動産を保有活用する「不動産投資」のほうが遥かに事業構築がしやすいということも実証してきた。仲介業はリスクが低いという概念を根底から覆し、プロパティマネジメントという新しい概念で不動産業に新たなビジネスモデルを構築させてきた。現在は、貸家業とホテル業との差異を埋めて、貸家業をサービス業として定着させるオンサイトマネジメントの手法で研究実証を図っていたりする。
魯山人、痴陶人に学び、共感できる直感した生き方を信じて行きたいものである。 |
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