これは、結構、大変なことである。
先日、ある人を介して、タイのスチール住宅の販売方法についての相談が入った。
日本において、既に何年か前から販売をしているのだが、なかなか思ったように売れないとのことで、いろいろ、この会社の商品の構成を見せてもらいながら販売戦略を検討した訳だが、結局、いまのままでは売れないという結論に達した。
確かに良い製品であることは間違いがなさそうだが、どうも日本人には受け入れられそうにない外観やデザイン、おまけにサイズも施工方法も問題だらけで、それをクリアする為には、かなりの改良が必要となる。
取り急ぎ、私なりに思いつく改良の手法を簡単に伝授し、もし本格的に日本国内で販売するとなれば、かなりの時間とシステム構築が必要であることを伝えて、その日のコンサルティングを終えた。
その後、暫らくして先方から連絡が入り、この会社の社長が日本に行くので、再度、詳細説明をして欲しいということになり、なんと、トップ会談が実現してしまった。
当社の新規に出店した「みなとみらいオフィス」の会議室で2時間くらい話し合い、その後、中華街で食事をしたのだが、とてつもない大企業の代表者であるにも拘らず気さくなひとで、「我々、ものづくりは上手だが、考えるのが下手。」などと流暢な日本語で、私に言った。
「とにかく先生の考えが必要です。有効なアイデアを出してください。」
この日、2人の息子さんを連れてきていたが、この二人も某日本の大学を卒業しており、通訳などいなくてもスムーズなコミュニケーションがとれる語学スキルがある。
長男がこの会社の本体の後継者らしく、次男は既にスチール家具のメーカーの代表者をしており、何と、実は、最初に打ち合わせしたのは、この会社の後継者、つまりこの会社の代表者の長男であった。そうとは知らず、最初のミーティングの際、結構、厳しいことをズケズケと意見してしまったのが反って良かったらしく、かなり本気で取り組まなければならないと危機感をもったようだ。
そんな訳で突然ではあったが、さまざまなパターンを考え、かなり斬新なビジネスモデルを思いつき、一応、念のため日本国内で特許の申請を出し、知的所有権を固めたうえで、今月8日から12日までタイに主張して詳細を詰めることになっている。
現時点ではあまり詳細を伝えることはできないが、簡単に説明すれば高品質のスチール住宅である。特徴としては、分解、組み立てが可能なものであり、不用となったときは、解体して処分するのではなく、分解して再利用が可能な住宅で極めつけのエコロジー住宅であるといえる。
例えば、駅前などの地価の高い土地に建物を建てた場合、将来、処分するときには、ご存知の通り「キャップレート(資本化率)」で割り戻して売却価格が決まってしまうから、建築すること自体が不利になる。
ところが、この工法で建築すると、仮に、売却などしなければならないときには、建物を再販して処分するか、メーカーに下取りで引き取ってもらって更地に戻して売ることができる。
また都心部で生活している人が、定年退職などして田舎暮らしをしたいと考えた場合も同様に、中古で住宅を売却するのではなく、田舎の安い土地を購入して、家ごと引っ越して更地に戻し、高く売却することが可能になる。
また、この建物、高温では50℃、低温ではマイナス30℃まで耐えることができ、価格的には建築ロットによるが、30%程度のコストダウンが図れると踏んでいる。おまけに4階建まで堪える構造体で造られる為、地震などにも強いし、雪国の大雪にも堪えられる。ピアノなどの重量物を入れる場合など、特別に仕様を変えることなく通常に搬入することが可能な住宅だ。
この住宅が私の思うように施工ができるとしたら、殆どの住宅はこの工法になってしまうのではないかと自信を深めている。
従来の建築工法を「工場生産」という手法でハイクオリティ、ローコストが実現できる。
例えば最新のトヨタのカローラは147万円。面積は4410×1695であるから7.47u、2.26坪であるから一坪あたり約65万円である。
現在、重量鉄骨、あるいは鉄筋コンクリートの住宅を建てようとすれば一坪あたりの建築費は、65万円はくだらない。カローラの部品点数や機密性、つまりボンネットを開ければ、ぎっしりと詰まった機械類が入っていても、一坪あたり65万円なのに、せいぜいキッチンやトイレや風呂などを設備した、ガランとした箱が、何でこのカローラより高いのだろうか。
簡単なことだがカローラは工場で、大量生産。建築は少量で、現場施工であるから積み上げた多能工のコストが、結構、かさむから建築費は高いものになってしまうのである。
この「サイアムスチール」社は7秒で2本の海上コンテナを生産する能力をもっている。
販路が開拓でき、私なりの考えが通用するとすれば、住宅の大量生産が可能になるし、場合によっては、住宅の通信販売も可能になるのではないかと考えている。
時代の変化は、時として、既成概念を破ったときに生まれてくるものなのである。
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