「先生は、今日は、こちらにご在籍ですか。」
2週間ほどして、小林の長男、和男から電話が入った。
「その節は、いろいろとありがとうございました。」
「いやぁ、大変でしたね。」
倉橋は返す言葉がわからず、曖昧な口調で言った。「その後、如何ですか。」
「母がちょっと落胆していましたけど、かなり回復してきました。」和男と話をしながら、突然の事故死の家族の気持ちとは、かなり複雑なんだろうなと倉橋は思った。「でも、いつまでもくよくよしていられません。早速、先日のレポートのとおり相続対策をお願いしたいのですが。」
その日、倉橋と野崎は小林のお宅にお邪魔し、小林の仏壇に線香をあげてから、具体的な対策の説明をした。
「小林さんの不動産による資産ですが、路線価格での申告ですと、先日もお話した通り、2億2000万円程度の相続税がかかってきます。」倉橋は、率直に数字による説明を和男と母トメ、そして2人の姉妹の前で説明をした。「生命保険と現金を合わせても3000万円しか金融資産はありませんから、1億9000万円程度の資金がショートします。」
小林の家族全員の顔には焦りとも翳りとも思える表情が表れだした。
「ただ、今回の交通事故での賠償金は非課税で5000万円程度は見込めると思いますが、それでも1億4000万円は確実にショートします。」倉橋は、ヒューレットパッカード社の金融電卓を使いながら、更に説明を続けた。「しかし残念ながら、現状の賃料収入では、金融機関からの借り入れは8000万円程度が限度と思われます。従って、最終的には6000万円を何とかしなければなりません。」
「俺たち、何か、悪いことしたのか。」和男は、ぽつんと言った。「結構、質素な暮らしをしてるよな。」母トメのほうを見ながら、やるせない表情で訴えた。「親父が死んで、交通事故の賠償金や生命保険のお金を全部もっていかれて、更に今後の家賃の20年分を吸い取られ、その上、6000万円も足りないなんて、こんなことって許されるんですか。」
「お気持ちはわかりますが、事実です。」倉橋は、まず正しい認識をもってもらうように、きっぱりとした口調で言った。「相続税って、そういうものなんです。」
「これって、払えなかったらどうなるんですか。」トメは、恐る恐る倉橋に聞いた。
「相続税の申告期限は10ヶ月です。そして、申告と同時に納税しなければならないのですが、金銭で納税できない場合、物納と言って、不動産などの財産を引き渡して納税に充てることもできます。」
倉橋は物納の説明を簡単に行った。
「小林さんの場合、倉庫や作業所などに貸している土地がありますが、これは多分、物納では引き取ってもらえません。また、1部畑にしている土地も、接道に問題がありますから、難しいと思います。」
「じゃぁ、私たちはどうすればいいんでしょうか。」トメは悲鳴ともとれる口調で言った。「仮に6000万円借りることができても、返済できないじゃないですか。売るに売れない土地に課税されて、過大な借金抱えさせられるくらいなら、全部手放したほうがいいくらいじゃないですか。」
「多分、この税制を考えている人たちは、このような現状は知らないと思います。」倉橋は慰めるようにトメに言った。「地主さんって言うと、土地いっぱい持っているから、こんな税金は払えると思っていると思いますよ。」
小林の所有する不動産は、自宅とその敷地約1500坪、倉庫で貸している建物と敷地350坪、同じく倉庫・作業所で貸している建物と敷地250坪、300坪の土地上に3件の建物を建て別個に貸している倉庫、その手前に駐車場として貸している更地150坪、そして自家で利用している畑が、60坪である。
いずれも広い敷地に小さな建物が建っており、人の良い小林は、その土地の多くを非常に廉価で賃貸しており、賃料収入は、たったの600万円しかなかった。
「俺、こんなものいらない。」和男は、現実を前に唖然としながら言った。「先生、相続放棄っていうの、ありましたよね。現金と自宅だけ残して、その他は放棄することってできるんですか。」
「それは無理です。放棄する場合、全部を放棄する必要があります。」
「これから私たち、どうすればよいのでしょうか。」トメは、今まで相続税のことなど考えずに過ごしてきたことに後悔しながら倉橋に言った。
「急な相続ですから、時間がありません。」倉橋は、小林家の全員に協力を求めるように言った。「これは、一種の戦いと思って取り組んでください。」
そして倉橋は、小林の生前に説明を行ったレポートを広げ、具体的な作戦を説明しだした。