第1話 突然の死

 「え、まさか.....。」突然の訃報に、倉橋は、動揺を隠すことはできなかった。

 亡くなった小林とは、ほんの1ヶ月ほど前に、倉橋の会社が主催したバスの旅行会でご一緒したばかりだった。

職業は昔ながらの大工の棟梁で、寡黙ながら人望が厚かった。また、勉強熱心で母屋とは別棟に書庫を所有しており、特に地域の歴史的文献や古書の多くが、そこには収まっていた。倉橋も何度かその書庫に入ったことがあり、江戸、明治、大正、昭和にかけてのその地域の歴史などを、たびたび小林から教授されていた。

小林は体調の都合で飲酒を控えてはいたが、このバスの旅行会では、自ら酒を持参し、夕食場所の高尾山にある「うかい鳥山」についた頃には、かなり高揚しており、この日、寡黙な小林には珍しく、宴席では自ら進んで木遣などを披露していたことを思い出した。

「ひょっとして、あのバス旅行で体調崩したんじゃないだろうな。」倉橋は、訃報を伝えた廣瀬に言った。

「いや、事故だそうですよ。」バス旅行の解散場所で、気持ちよく寝てしまった小林をタクシーで自宅まで送り届けた廣瀬は、複雑な表情で答えた。

「早朝の自動車事故です。」

小林の自宅は1500坪程度の敷地に建っている。

近隣は宅地造成が進み、大規模なベットタウンが形成されているが、先祖代々受け継がれてきた小林の自宅は、概ね山林の中腹に位置していた。

律儀な小林は、毎朝、自分の所有する山林の樹木の落ち葉を早朝から掃除することを日課としていた。前面道路の道幅は狭く、鬱蒼とした樹木によって昼間でも少々薄暗い感があるこの道は、幾度も湾曲しており、時折、若者の乗用車やバイクが、スピードを上げて通り過ぎる。

そんな折り悪く、その日の早朝、日課の清掃をする小林の後部に、若者の運転するスポーツカーが突っ込んだのである。

「先生も、気をつけないと。」廣瀬は、意味ありげに倉橋に言った。「結構、みんな心配してますよ。」最近、倉橋は、通勤と都内へ移動する為に、ホンダのスポーツカー、S2000を購入していた。

倉橋が、小林と知り合ったのは、小林の親戚からの紹介である。

地主の本家にありがちな「相続対策」に対する危機意識が欠落していた為、心配した親戚が見かねて、無理やり倉橋へ紹介してきたのである。

寡黙で用心深い小林は、最初、親戚から紹介された倉橋をも信用しようとはしなかったが、何事も歯に衣着せぬもの言いと、著書を多数執筆している倉橋を信用するには、読書家の小林には、いくらも時間はかからなかった。倉橋が初めて会った日には、その地域の歴史などを肴に酒宴となった程で、すっかり打ち解けた話ができ、その日、相続対策のコンサルティングを依頼されたのである。

「典型的なパターンだな。」

小林から預かった名寄帳と確定申告書を基にCFネッツのプロパティコンサルタント野崎恭一が収集した調査資料を分析しながら倉橋は思った。

通常、不動産コンサルタントの行なう相続対策とは、不動産評価を基に路線価格との乖離を指摘しながら相続税の納税額を圧縮する作業と、相続人間の揉め事が起こらないように行なう権利調整、そして資産の分割がし易いように積極的に不動産投資を進める作業と併せて、所有資産の権利調整などがある。

CFネッツでは、概ね10日から2週間程度で依頼者の全財産を調査し、倉橋の経験則上の相続対策に関するアイデアのアウトラインを何通りか提案するレポートを作成することから始めている。その為、依頼を受けた直後にかなり踏み込んだ調査をすることになる。

調査方法は、まず名寄帳、つまり所有不動産の課税台帳を所有者の名前で寄せたものに載っている不動産全部の登記簿謄本や公図、測量図などを1通り取得し、不動産取引上で行っている重要事項説明書が即座に書ける程度まで調査をする。そして、戸籍謄本を取得し、正確な法定相続権者を調査し、法定相続分を確定する。その上で路線価を基準とした相続税の納税額を算出する。一方、確定申告書を基にキャッシュフローの分析を行い、算出した納税額が支払えるかどうかも検証するのである。

「先生、小林さん、納税には耐えられませんね。」野崎は倉橋の表情を察しながら曇った表情で言った。「土地、売らなきゃ駄目ですかね。」

「いや、まだ若いから、時間をかければ何とかなるんじゃない。」

典型的な地主にありがちな資産背景。居住用資産が広大で、多くの更地を所有し、駐車場などの利用による過小な不動産収入。小林も同様な資産背景であり、不動産収入はたったの600万円、2億円を超える相続税の支払いなど、できる筈はなかった。

「倉橋さん、あんたに任すよ。」小林は、倉橋の作成した分厚いレポートを前に、相続税2億2000万円の数字を見てあっさりと言った。

「あんた、信用してるから、あんたの言うとおりにするよ。」

そんな小林が、突如、交通事故で亡くなってしまったのである。

小林の葬儀は盛大であった。

道路から山林の中腹にある自宅までのアプローチには、数え切れない花輪と生花が飾られていた。お通夜には倉橋、廣瀬、そして野崎は通夜に参列し、焼香をあげた。

倉橋には、その掲げられた写真から「倉橋さん、あんたに任すよ。」との声が聞こえたような気がした。
 

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