「娘さんお2人には、このアパートとこの倉庫を一つずつ相続してもらいます。もちろん、全体的な分配からすれば少ないと思われるかもしれませんが、アパートのほうはお父さんが団体信用生命保険に加入していましたから借金はありませんし、こちらの倉庫の借金も、残った現金で支払うようにします。」
小林の娘2人は、年間家賃が約300万円程度入ってくる収益物件をそれぞれ無借金で相続できることで、充分満足した。
「これで、概ね相続財産の遺産分割協議は整いました。」
正直、娘2人の取り分は遺留分にも満たないが不動産の場合、その不動産の価値と経済価値には大きな乖離が生じる。相続税評価額の基準である路線価格は、概ね公示価格を基準に定められているようであるが、欧米の不動産評価額は、V(Value 価値)=I (NOI ネット収入)÷R(Capitalization Rateキャップレート)、つまり収益をその地域の資本化率(キャップレート)で割ったものが不動産の価格を決める要因となるので、経済的価値との乖離は生じない。従って、その不動産を相続したもの、少なくとも収益目的の不動産を取得したものが、相続によって経済的困窮に陥る可能性は少ない。
ところが日本の場合、特に一等地、例えて言えば東京の銀座などの不動産を相続するとなると、実勢価格と経済的価値での乖離により、相続税は大変な負担となる。
倉橋は、首都圏の地主のコンサルティングも多く手がけている。
銀座の地主のコンサルティングも長く努めているが相続税を納付するために常に現金預貯金を残そうとしている人が多い。その多くは個人の所得税は上限を納め、市県民税も多額な金額を納めているから、常に長者番付に名前は載るが、相続税を計算すると、結局、現金は足りない。従って収入はあるが消費は控える。
倉橋がコンサルティングする上で、いつも矛盾と直面する事態であるが、これらの税体系ではさらに日本経済が蝕われていくことを、この日本を支えているリーダーたちは気がついているのであろうかと疑問を感じる。税収が足りないから増税をする、あるいは将来、年金が支払えないから増額すると言う構図は、結局、消費を減退させ、更に税収も下がるという悪循環を助長させるだけなのである。本来、景気を回復させる為には、消費促進策を明確に打ち出し、むしろ消費に結びつく減税を行わなければならないのに、全く反対の手口を打ち出しているのである。
「しかし、妹達に収益の上がるアパートを渡してしまえば、母さんの収入はなくなりますよね。」長男の和男は、心配そうに倉橋に尋ねた。「あの倉庫の借金を現金で返してしまえば、当然、母の現金もなくなる訳ですから、生活は厳しくなりますよね。」
「もちろん、今のままではお母さんの収入は厳しいです。」倉橋は、心配そうな母トメと長男和男に率直に言った。「そこで私としては、お母さんが相続したあの倉庫の土地に収益物件を建てたらどうかと考えています。」
「しかし、母さんはもう65歳ですよ。」小林家の全員が驚いた表情で見守るなか、長男和男が言った。「先生のお蔭で、なんとか借金せずに済んだというのに、母に借金でもさせようというのですか。」
「ええ、そうです。」倉橋は、きっぱりと答えた。「お父さんは、積極的な借金を怖がっていたから、こんなに相続税を支払うことになったんですよ。もちろん、借金だけ考えればあまり良いように考えないかもしれませんが、戦略的で積極的な借金は、相続対策にも有効ですし、不動産投資という意味でも有効です。」
「でも、私みたいな年寄りに、お金なんか貸してくれるかね。」金融機関からの借入などの不安と共に、実現性を疑うように、母トメは言った。
「いや、大丈夫です。」倉橋は、自信たっぷりに言った。「先日、相続税の納税資金を打診した際、金融機関からは1億円の融資を取り付けることができています。」1億円という金額を聞いて、小林家全員がたじろいだ。「この金額は、現状の小林さん家族の相続財産評価と既存の賃料収入から割り出した金額ですから、仮に、あそこの倉庫を建替えて収益物件を建築するとなれば、充分、3億円程度の融資を取り付けることができると思います。」1億円でもたじろいでいた小林家全員が、今度は3億円など全く日常生活からかけ離れた金額を聞いて、目を丸くしていた。「ただし、和男さんが連帯保証人になることが条件となります。」
「えっ!。」和男は、絶句した。
そして倉橋は、あっけに取られている小林家全員に、倉橋の考える提案を説明しだした。