痴陶人について

痴陶人絵付け風景

 

澤田痴陶人(1902-1977)は元々京都で日本画を学び、染色織物の研究をしていましたが、1960年に佐賀・嬉野に移り、焼き物のデザイナーとなり ました。68年には今も作品を引き継いでいるメーカー、伊万里陶苑創業に参加し、伊万里を拠点に活動、多くの優れた作品を残しました。

 

痴陶人の詩

 

数々のすばらしい作品を生み出しながらも、痴陶人は最近に至るまでほとんど無名でした。

 

大英博物館での個展

ローレン・スミスとの出会い。

世に出るきっかけとなったのは、1993年、大英博物館、日本美術部長のローレンス・スミス氏が伊万里を訪れ、作品と出会ったことによります。彼は、「痴 陶人が突出した独自の存在であるのは、彼が何世紀にもわたる陶磁器芸術の多彩な伝統を幅広く活用したことにとどまらず、図柄の大胆さ、人間味あふれるユー モア、筆づかいにこめられた力、スケールの広がり、そしてありのままの個性、これらすべての結合、つまり一体感であると絶賛しました。

陶芸界の棟方志功。

生き生きとした筆のタッチは他の現代陶芸に例をみない。自由奔放な線は、見る人に愉快で豪快な「生」そのものを感じさせ、版画の棟方志功に通じる。」(日 本経済新聞1997年3月5日)と、絶賛されたそうです。そして97年5月から4ヶ月間、大英博物館で日本の陶芸家としては初めての個展「澤田痴陶人展」 が開催されました。日本よりも先に海外で脚光を浴びた珍しい陶芸家です。

当時日本から40点もの澤田痴陶人の作品が海を渡り展示されました。運搬の様子、展示の様子、ローレン・スミスのインタビュー等が当時のテレビ番組で取り上げられました。一部では大絶賛されながらも痴陶人本人はマスコミや展覧会での露出を極端に嫌っていました。

 

痴陶人の文様についてはローレンス・スミス氏が絶賛したように、どれも生き生きとしており、繰り返して用いられる文様も、その度に違う表情を見せてくれます。動物においては、その表現がユーモラスな印象を与え、また生命を謳歌しているように見え、動植物以外の幾何学的な文様でさえ、生きているかのような筆致で描かれています。

 

酒が好きでお酒を飲みながら陶友たちと焼き物について語り合うのを楽しんでいたといわれる、澤田痴陶人という人物。彼の作品からは自己主張とか名誉欲よりも、伝統や、いい作品にしたいという純粋で無欲な想いが今にも伝わってくるようです。

 

澤田痴陶人の略歴(1902-1977)

1902年
1月21日、京都府宮津市(当時は町)に生まれる。
父・仙吉は当時、瓦職人。小学生の時より絵を描くことに自信があり、盆燈籠に絵を描くアルバイトをして町中の評判を得る。ひそかに将来、画家を夢見る。
1934年
佐賀県の有田窯業試験場で陶芸図案を指導。
1943年
三重県佐那具陶器研究所で中国陶器を研究。
1950年
岐阜県安藤知山窯に入る。
1960年
佐賀県嬉野町に移り住む。多くの窯元デザインの仕事をする。
1968年
伊万里陶苑の創設に加わり、顧問デザイナーとして尽力する。伊万里を拠点に活動を続ける。
1977年
75歳にてその生涯を閉じる。

痴陶人の作品